No.124 世界遺産は、子どもの遊び場だった

奈良公園、浮雲園地 世界遺産と生きる

奈良で育った私にとって、

世界遺産は、
「見に行く場所」ではありませんでした。

毎日のように通り、
遊び、
走り回る場所。

それが、
奈良公園でした。


子どもの頃の奈良公園

今の奈良公園は、
国内外から多くの観光客が訪れています。

でも、私が子どもの頃は、
今とは少し違いました。

日曜日でも、
人があふれていることは少なく、

広い芝生や空き地では、
子どもたちが自由に遊んでいました。

鹿も、
今よりもっと自然に、
町の中に溶け込んでいた気がします。

奈良公園を歩く親子連れの鹿

奈良公園の鹿は、普通に暮らしている存在です。


興福寺の前で野球をしていた

小学生の頃。

友達と、
奈良公園で野球をしていました。

場所は、
興福寺の中金堂の近く。

今思えば、
とても贅沢な場所です。

もちろん、
立て看板には、

「球技禁止」

と書かれていました。

でも子どもです。

そんなことは気にせず、
夢中でボールを追いかけていました。

監視員さんが来ると、
みんなで笑いながら逃げます。

そして、
姿が見えなくなると、
また戻って遊ぶ。

そんな時代でした。


世界遺産という感覚はなかった

当時の私たちにとって、

興福寺も、
東大寺も、
世界遺産という感覚はありませんでした。

「いつもの場所」

だったのです。

屋根に向かってボールを投げたり、

鹿を避けながら走ったり、

ただ、
毎日を楽しんでいました。

でも大人になって、
改めて考えると、

世界的な文化遺産の中で、
普通に遊んでいたことになります。

奈良という町は、
それが自然に存在している場所でした。

興福寺の中金堂

興福寺の中金堂、子供の頃は普通のお寺でした。


春日野グラウンドと春日野プール

東大寺の近くには、
春日野グラウンドがありました。

バックネットもある、
本格的な野球場です。

夏になると、
春日野プールにも通いました。

泳いだ後に飲む、
甘い生姜湯。

それも、
子どもの頃の奈良の思い出です。

今では、
観光地として知られる奈良公園ですが、

昔は、
地域の子どもたちの生活の中に、
もっと自然に存在していました。

奈良公園、春日野園地

春日野園地、昔は「春日野グランド」・「春日野プール」で、多くの市民が活用していました。


平城宮跡も遊び場だった

平城宮跡も、
子どもの頃の遊び場でした。

今のように整備される前は、

ただ広い、
大きな草原のような場所。

近鉄電車が真ん中を走り、

野球やサッカーをして遊んでいました。

そこが後に、
世界遺産になるとは、
当時は想像もしませんでした。

平城京跡、昔は、真ん中を近鉄電車が走る、四角に区切られただだっ広い芝生の遊び場でした。


まとめ

世界遺産という言葉は、

少し遠い存在に感じることがあります。

でも奈良では、

世界遺産は、
暮らしのすぐ隣にありました。

遊び場であり、
通学路であり、
日常の風景だったのです。

だからこそ今、
世界遺産を「観光地」としてだけではなく、

「生きている場所」

として感じるのかもしれません。


小鹿のひとこと 🦌

「世界遺産は、“特別な場所”になる前に、
みんなの毎日の中にあったんだね。」


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